カタルシスの岸辺@TOKYO 2021

建築と現代美術の分野で活躍するクリエイター達が東京という都市の過去を新しい視点で検証し、未来の発見をしていくアートイベント、「TOKYO 2021」でカタルシスの岸辺は店舗イメージを出展いたしました。

『カタルシスの岸辺』に寄せて

ビルの解体というと、ある男のことを思い出す。

我々が今まさに展示しているここ、戸田建設本社ビルは、建て替えられることが決定している。2019年内に既存建物の解体工事に着手する予定で、2021年の着工、2024年には地上28階、高さ173mの超高層ビルが完成する予定らしい。

赤瀬川源平の「路上観察学入門」の中には一木努という男が登場する。一木は建物の「カケラ」を蒐集していた。彼は歯科医でありながら、仕事の合間に時間を見つけてはあらゆる解体現場に出入りし、解体され消えゆく建築の「カケラ」を譲り受け、集めていた。入念なリサーチと、何度も現場を訪れ作業員やオーナーと交渉する姿勢は、生粋の蒐集家といえるし、少しだけアーティストっぽいなとも思える。一木は、20年間にもわたり蒐集活動を続けた。「カケラ」の内容は手すりや装飾、瓦礫など様々で、集めた数は650点以上に及ぶらしい。現場への真摯な姿勢と、金銭で解決せずに、交渉を楽しみあくまでタダで「カケラ」を集める一木のスタイルには、「死蔵データ」を蒐集する「カタルシスの岸辺」の一員として、尊敬の念を抱かずにはいられない。

カタルシスの岸辺は、屋台という形式であらゆる人々のローカルディスクに眠る「死蔵データ」を回収し、販売している。そして、それらの死蔵データの大半は、作品制作の為に撮影、録音、執筆、取材したものの、使われなかったデータたちだ。建築物が解体されて瓦礫の山になり、さらに細かくなって資材にリサイクルされ、資本主義の下で循環の渦に返っていくとき、その循環から逃れた建物の「カケラ」たちは資料としての価値も持つだろうが、一木個人にとっては、その建物の記憶装置であるようにも思える。そして我々が集めている「死蔵データ」もまた、そういった記憶装置のように思えてならない瞬間がある。「死蔵データ」は、作品にはならなかったという意味ではある種の不純物だが、一方で作品に思いを馳せる特別な記憶装置にも成り得るはずだ。一木が建物の「カケラ」を蒐集するかのように、カタルシスの岸辺は「死蔵データ」を蒐集しているのかもしれない。

「祝祭の国」を作るために取り払われた建物の一部だったもの達が、天井に届かんばかりに押し込められた部屋の中で、我々は、瓦礫の山を「カケラ」に見立て、その中に「死蔵データ」たちを並置し、「カタルシスの岸辺」という心象風景、架空の土地を設定する。それはマテリアル・ショップを自称してきた我々が、なぜ「死蔵データ」に惹かれるのかという、マテリアル・ショップ以前の問題意識を掘り下げたものであるといえるかもしれない。我々は祝祭と災害の狭間の、瓦礫の山が詰まった一室で、「カタルシスの岸辺」という死蔵データが漂着する浅瀬の発現を夢想している。(海野林太郎)